

法隆寺を立てた頃、木といえば檜のことでした。桧は伐採してから200年は成長を続け強くなります。それから1000年くらいたってゆっくり弱くなります。
法隆寺の昭和の大改修の時、取り換えた材は35%だけで、残りの65%は1300年前そのままの木を使っています。
もし、法隆寺がケヤキや松を使っていたら、600年ほどしか、杉だったら1000-800年くらいしかもたなかったでしょう。
法隆寺が檜一式で作っていることは、先人の知識と技術が並々ならぬものだったと容易に想像できます。
ただ、これから先、法隆寺の材は弱っていくことが想像できます。さらに65%の材がほぼ同時に弱っていきます。
何十年、何百年後かに改修を行う際、今の日本ではそれに代わる材が入手できるのか、皆無に等しいでしょう。日本は国家レベルで木を育てる大切さをもう一度考え直す時に来ているのです。
【本物にこだわることで実現した古代建築の再現】
宮崎県には「西の正倉院」という建築物があります。これは奈良の正倉院を原寸大に複製したものです。西の正倉院がある宮崎美郷町は、滅亡した古代朝鮮の「百済」王族が移り住んだという伝説が残っていて、それを裏付ける文化財もたくさん出土しています。こうした伝説と文化財をもとに、地域おこしとして「百済の里づくり」が進められ、さらに地域イメージ向上のために「西の正倉院」事業が計画されました。
この事業の基本理念は「本物づくり」「こだわり」にあり、「西の正倉院」の設計に当たっては、宮内庁門外不出とされていた正倉院図を参考することができたそうです。
この結果、直径50-60cmの檜の大径木が約800本必要ということが判明しました。
木曽檜の手配が出来たこの事業は、基本理念に則り、伊勢神宮に倣った儀式もすべて伝統通りに行われました。
当初、「主構造が見えない部分は鉄骨にすればよいのでは? 」という見解もありましたが、ここも基本理念に則り、「本物」にこだわり、すべてを奈良の正倉院と同じつくりにしたそうです。
この完成がどのように歴史を重ね、後世にどのような評価を受けるのか、同じ建築業界にいる人間として楽しみです。

ご質問・ご相談などお気軽に下記までお問い合わせください。
