木材の王者「檜」を知ろう

檜の基礎知識

檜 学名:Chamaecyparis obtusa

檜は古くから建築用材として用いられてきました。特に寺院、神社の建築には必須で古くから利用されてきました。
現在では一般家庭でも多く使われ、特に和式の建築物に高級材として使用されています。

檜は、天然では、日本と台湾にしか生息していません。日本では東北南部(福島県)から屋久島まで分布しています。台湾では輸出を禁止していて、さらに価値は高くなっています。日本では樹齢800-1000年を超える檜が各地にあり、国や県の天然記念物となっているところが多くあります。

材の色は淡紅白色。肌触りは滑らかで、独特のつやと香りがあります。強度に優れ、狂いが少なく耐久性はトップクラスです。また、軽く柔らかいので加工性が高く、見た目も美しいので、建材としてはもちろん、インテリアや工芸品など広い範囲で活用されています。

檜の強さを知っていた古代建築

先人の知識と技術

法隆寺 / 奈良県

法隆寺を立てた頃、木といえば檜のことでした。桧は伐採してから200年は成長を続け強くなります。それから1000年くらいたってゆっくり弱くなります。

法隆寺の昭和の大改修の時、取り換えた材は35%だけで、残りの65%は1300年前そのままの木を使っています。
もし、法隆寺がケヤキや松を使っていたら、600年ほどしか、杉だったら1000-800年くらいしかもたなかったでしょう。

法隆寺が檜一式で作っていることは、先人の知識と技術が並々ならぬものだったと容易に想像できます。

ただ、これから先、法隆寺の材は弱っていくことが想像できます。さらに65%の材がほぼ同時に弱っていきます。
何十年、何百年後かに改修を行う際、今の日本ではそれに代わる材が入手できるのか、皆無に等しいでしょう。日本は国家レベルで木を育てる大切さをもう一度考え直す時に来ているのです。

【本物にこだわることで実現した古代建築の再現】

西の正倉院 / 宮崎県

宮崎県には「西の正倉院」という建築物があります。これは奈良の正倉院を原寸大に複製したものです。西の正倉院がある宮崎美郷町は、滅亡した古代朝鮮の「百済」王族が移り住んだという伝説が残っていて、それを裏付ける文化財もたくさん出土しています。こうした伝説と文化財をもとに、地域おこしとして「百済の里づくり」が進められ、さらに地域イメージ向上のために「西の正倉院」事業が計画されました。

この事業の基本理念は「本物づくり」「こだわり」にあり、「西の正倉院」の設計に当たっては、宮内庁門外不出とされていた正倉院図を参考することができたそうです。

この結果、直径50-60cmの檜の大径木が約800本必要ということが判明しました。

木曽檜の手配が出来たこの事業は、基本理念に則り、伊勢神宮に倣った儀式もすべて伝統通りに行われました。

当初、「主構造が見えない部分は鉄骨にすればよいのでは?」という見解もありましたが、ここも基本理念に則り、「本物」にこだわり、すべてを奈良の正倉院と同じつくりにしたそうです。

この完成がどのように歴史を重ね、後世にどのような評価を受けるのか、同じ建築業界にいる人間として楽しみです。

建築は木の第二の生

檜だけでなく、木は切られた後も成長を続けます。これを第二の生とするならば、木を切った私たち人間にはその生に対して義務があります。

木の第二の生を幸せのもとに全うさせるべく、私たち人間は木の持つ力、魅力を存分に発揮させなければなりません。

建築における適材適所はまさに木の第二の生を活かすための考え方です。

竹広林業では木の持つ力や魅力と真剣に向き合い、お客様にご提供しています。

穏やかであふれる笑顔がいっぱいの家族でありたい。木材の第二の生はそんな家族を包む生にしたい。竹広林業の願いです。

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