NY 訪問記
「小田原」とともにアメリカへ
NY 訪問記 ~1日目~
代表の髙木大輔です。
伝統建築の技術継承や職人の育成に取組むNPO法人おだわら名工舎で共に活動する宮大工棟梁の芹澤毅さんのお誘いで、NYに行く機会ができました。目的は大きく二つ。小田原にゆかりのある世界的アーティストのアトリエと、ジャパンソサイエティの訪問です。5月下旬、私たちの3泊5日の旅が始まろうとしていました。
出立前、寄木や木象嵌など小田原が誇る数々の工芸品とともに、私たちの名刺を用意しました。渡米メンバーは3人。小田原地区木材業協同組合の大山哲生さんも同道します。日本語と英語表記の他に、我々おだわら名工舎の活動と小田原という街の雰囲気を伝える、3分弱の動画をQRコードの読み込み式にしてデザインしました。それぞれが好きな樹種を選び、整った名刺がこちらです。
芹澤さんはヒノキ、大山さんはスギ、私はクスを選び、(株)ラ・ルースの木のシートに印刷してもらいました。香り、ツヤ、木目が異なる、小田原らしい名刺を胸に一路、アメリカへ。
羽田から14時間、ジョンF ケネディ国際空港に到着しました。実は私23歳から1年間、バックパックを背負ってアメリカ大陸を横断したことがあります。約30年ぶりの空気に、こみ上げる懐かしさと興奮。
空港をあとにし、電車で一路マンハッタンを目指します。途中で気になった「Woodside」の駅名。
住宅地のようでしたが、どんな街なんだろ?
そして着きました、宿があるタイムズスクエア!銀座と六本木、渋谷と新宿が混ざったような場所。人、ひと、ヒト。
タイムズスクエアは、「ザ・アメリカ」。様々な人種が行き交い、活気に満ちていました。すれ違う人から感じるのは、野心とエネルギーです。若い頃に自分もこんな気持ちでこの街を歩いていたのかな。
初日は移動日だったので、これから3日間お世話になる「マンハッタンホテル」に無事到着すれば、この日は任務完了。荷を下ろして、30年ぶりにエンパイアステートビルを訪れました。切符を販売しているおじさんに聞いたら、当時おそらく2ドルだった入場料は、いまや120ドル。1ドル157円で換算して、18,900円ほどです。
展示内容も変わっているとは思いつつ、さすがに手が届かず入口までで断念しました。いまの日本は、安いことに価値があるかのような風潮に感じます。それが当たり前になり過ぎて、本来の物の価値やそれに付随する価値観を見失ってしまっているのかもしれません。ちなみに昼食はマンハッタンのマクドナルドでとりましたが(アメリカまで行ってマックか!という感想は受け付けません)こちらも二人で5,000円ほどでした。
NYと日本の時差が約13時間。時差ボケなのかボケていないのか、着いてそのままNY時間の午前3時にリモート会議に参加し、滞在二日目へと突入するのでした。(続く)
「小田原」とともにアメリカへ
NY 訪問記 ~2日目~
到着してからの余韻を残したまま、滞在二日目がスタートしました。宿泊したホテルはセントラルパークのすぐ近く。せっかくなので朝の空気を楽しもうと、芹澤棟梁を誘って散歩に出ました。6時半の公園は、都会の巨大なオアシス。ジョギングを楽しむ人、サイクリングで汗をかく人でごった返していました。公園からの眺めで分かるように、高層ビルの中に、このだだっ広い緑の空間が広がっています。でもそれが、人々の生活にとても自然に馴染んでいるのが不思議な感じ。
どこに行っても木の設えが気になるのはもはや職業病で、世界的に内装の木質化を推進しているスターバックスが目につきました。公園の近くにはジョン・レノンとオノヨーコが暮らしたダコタハウスや著名人が住むアパート群。この日の午前中は唯一の自由時間でした。某小田原の有名人を、あの場所にお連れしなければ!と計画を立てて地下鉄に乗り込みました。
某小田原の有名人、というのはこの方!二宮金次郎さんです。二宮神社さんからお預かりしました。
最初に訪れたのは、グラウンドゼロ。その後、自由の女神像を見に移動しました。そして記念すべき対面の時が。
短い観光の時間はあっという間に終わり、目的その1の、アーティストのアトリエ訪問の時間となりました。ふたたび、街の中心部へ移動。アトリエから外を眺めての、率直な感想は、「地球の裏側に来た!」。この景色です。
アトリエには、解体した小屋の一部を使った茶室がありました。新鮮だけど、落ち着く感じ。その発想と型にはまらない表現の自由さに惹かれました。3時間ほどの面会時間は飛ぶように過ぎ、近くのイタリアンレストランで夕食を共にしました。20代で渡米した時からこれまでの話を聞くなかで、「とにかく一生懸命だった。精一杯やってきたんだ」という言葉が印象的でした。淡々と、しかしじっくりと自分自身に焦点を当てて歩んできた人生を振り返る言葉が、染み入りました。こうしてあっという間に、二日目も終了。マンハッタンのきらめく夜景の中、ホテルに戻りました。
そうそう、アトリエからもよく見えたこの物体、なにか分かる方はいらっしゃるでしょうか。正体は、木製の水槽。
上のパノラマ写真にも日中のエンパイアステートビルの写真にも、よーく見るとたくさん写っているのです。高層階まで水を押し上げる水圧がないため、汲み上げた水を重力で下の階に供給する、というシステムです。ニューヨークには約1万個もの木製水槽があるとも言われるようで、ビル群のてっぺんに乗るこのとんがり帽子に癒されました。(続く)
「小田原」とともにアメリカへ
NY 訪問記 ~3日目~
積極的に時差ボケを解消する気が起きないまま、滞在最終日を迎えました。前日同様、6時半のセントラルパーク散策からスタートです。目に入るものがとにかく気になる。大都会の中の整備された公園は、だれにとってもホッと一息つける場所のようでした。そこから見る、そびえ立つ高すぎるビルも、足場のかかり方が妙に気になる建物も、ニューヨークらしい光景といえそうです。
この日最初の訪問先は、メトロポリタン美術館。世界三大美術館のうちの一つで、年間200万人もの人が訪れます。絵画・彫刻・写真・工芸品ほか家具・楽器・装飾品など約300万点の美術品を所蔵し、全館を一日で巡るのは難しいほどの規模を誇る場所には、さまざまな「日本」が展示されていました。織部の器やジョージナカシマがデザインした家具、そして若かりし頃の芹澤棟梁が修業した安井杢工務店さんが手掛けた日本ギャラリー等々。海外で「日本」に触れるのは、とても誇らしい気持ちです。
メトロポリタンを後にし、最後の目的地・ジャパンソサイエティを目指しました。国連本部の斜め向かい、トランプタワーの真横に建っています。
一歩足を踏み入れると、入り口からすでに木の雰囲気が漂う素敵な空間が広がっていました。そしてこちらにも、ジョージナカシマの家具が。イベント事業部長の関谷さんとは日本で一度お目にかかっています。今回は貴重なお時間を割いていただいての面会、おだわら名工舎のバッヂに棟梁お手製のヒノキの削り華、寄木に木象嵌など「小田原じまん」の工芸品を厳選し、小田原での木の取組を伝える小田原地区木材業協同組合と小田原林青会のパンフレットとともに並べさせていただきました。少し意外に感じたのは、「アート」よりも「クラフト」に興味をお持ちいただいたこと。量産品とは対極にある、工芸品の背景にある作り手や産地などのストーリーに価値を見出すという考え方に触れ、それらを伝える術を持つことも必要かな、と感じました。
ホテルまでの帰路、タクシードライバーにお勧めの店を聞いたものの、ニューヨーク最後の晩餐はホテル近くのレストランで、念願のステーキにありつきました。しかしこれが、、、、「アメリカサイズ」という予想のはるか上を行くボリューム。美味しかったのですが、3人とも完食には至らずお腹いっぱいでベッドに潜り込みました。
こうして密度の濃い3泊5日は足早にかけて行きました。タクシーと言えば、円安の影響でアメリカ滞在中はどの場面でも物価の高さを感じました。目的地までざっと計算しても気軽に乗れる料金ではなく、歩数計が1日20,000歩以上をカウントした日も。社会人1年生が1年間アルバイトしながらバックパッカーをできた30年前とは正反対です。これが、今の私たち。経済に翻弄されている我が身と日本を痛感しました。
物の価値、自分たちの生業の真価やそれに対する評価。溢れるアメリカのエネルギーを目の当たりにし、自信を失っている自分たちを直視できなかったことに気づきました。もやもやが少し晴れ、方向性が見定められた気がします。まだ新しい道は見つけられる。「これまで」があったように「これから」を考えて私たちが進む道。若い世代とともに小田原を盛り立て、いずれバトンを渡す準備の一歩となったNY 訪問でした。(完)