竹広林業の小田原への熱い想いと木へのこだわりを、俳優で友人でもある光宣さんにインタビューしてもらいました。
光宣今回のイベント「やんべーよ」について、林業として・竹広としての高木さんの感想を教えてください。
この雰囲気、この会場が僕の目指す姿・ゴールです。
周りにある骨組み、床、壁、各種材木は、全て小田原の森で育ったもの。
そして、これを育て作ったのもの小田原の人々です。
このようなイベントを開催できるのは、僕たちの先代、先々代が苗を植え、育ててきたから。
この大切に育ててもらった木を使うだけではなく、次代、次々代のために、更に苗を植え、育てていくことが大切です。
言葉で表現すると簡単ですが、自分たちの生活を考え、それを仕事としていくことは想像以上に難しいものです。
だから、志が同じ仲間が集まり、イベントに対して具体的な意見・アイディアを交わしながら、精度を高めてメッセージ性を強め、開催することがとても意義があることなのです。
「このようなイベントを恒常的に、力強く開催し続けることで、多くの方に小田原の木の魅力を知っていただきたい。」こんな思いがあるから、僕にとってこのイベントは目指す姿・ゴールの1つなのです。
光宣今後の展開について教えてください。
この輪を無理に広げていく必要はないと考えています。
身の丈に合わせながら、少しずつ成長させ、またそれにより新たな仲間が集い、更に成長する。そんな流れでチームを力強くしていきたいです。
ただ、その中での1つのルールが「テーマに基づいた議論を重ね、行動に移さなければならない」ということです。
光宣そのテーマとは何ですか。
「小田原での地産地消」です。
これは「モノの地産地消」と「ヒトの地産地消」の意味があり、この2つを合わせて満たさないと、チームとしての成長はないと考えています。
そして、このテーマを自分たち自身が楽しみながら取り組むことが大切だと思います。
楽しんでいるからこそ、お客様を含め周囲の方々に魅力的なテーマに映り、より良いメッセージが伝えられると思います。この辺りは、きっと演技と同じですね。
木に対する想い(こだわり)
「誤解を恐れずに言うと、どんな木も価値の差はない。価値の差は人々の想いや熱意――。」
例えば、有名な檜と言えば「木曽の檜」「吉野の檜」などありますが、小田原の檜も含め、木そのものは殆ど一緒です。
勿論、少し前のように「ホクロが無い」「色白」な方が美人と呼ばれていたように、木も「抜節が無いもの」などが良いと言われていましたが、今はこの穴も含め個性と評価するようになってきており益々、木そのものの価値の差は無くなってきています。
ただ、木曽や吉野など様々な木の産地に見学へ行き、関係者の話を聞くと、やはりそれぞれ木に対する愛情というか想いを寄せており、それが1つひとつの取り組みに表れ、結果として良い木が育ちます。
極端に言えば、木の価値の差は「人々の熱意や行動」の差です。
「小田原での地産地消」
私たちは「小田原での地産地消」を考えながら、日々仕事に取り組んでいます。
ここでの地産地消は、「モノの地産地消」と「ヒトの地産地消」の意味があります。
近年、スーパー台風などによる土砂災害や河川氾濫がひどいですよね。
あの原因の1つは、山に人の手が入り、苗が等間隔で植えられ、スクスクと木が育ち、密集し、だんだん隙間が無くなっていきます。
すると、太陽の光が地面に十分に届かず、下草が生えず、地面がコンクリートのように硬くなり、降った雨が土地に沁み込まず、その結果として土砂崩れを起こします。
太陽の光を遮っている成長し密集してしまった木を伐採し、有効に活用するのも山や木の恩恵を受ける地元住民の責任の1つだと思います。
「豊かになった山が川・海を育て、私たちの生活をより豊かにしてくれる」
そう考えると、やはり大きく育って窮屈になってきた木を適度に減らしてあげることで、木が本来持つ土砂災害抑止という役割を果たしてもらい、豊かになった土壌に草花・昆虫・動物が戻り、豊かな山にしていくのが私たちの使命の1つです。
そして、山から引き上げた木を建築や家具といった形で自分たちの生活に取り入れます。
更には、豊かになった山が川・海を育み、小田原の代名詞とも言うべき豊かな海産物を育てていきます。
このようなサイクルも「小田原での地産地消」です。
是非、皆さんにも小田原の山・川・海のことを知っていただき、小田原で育った木、小田原の気候風土を知り尽くした職人の手で作った家に住んでいただければと思います。
光宣さんのご紹介
有限会社ネオ・エージェンシー所属の俳優。
映画、TV、CMなどで活躍中。
詳しくはwikipediaにて